今日の日記

一日を振り返って書くのが日記です。だから、当然こんな時間に書くのはおかしいのです。しかし、今日読む本を書いておきます。

The Pyramid Principle, Barbara Minto, Pearson Education ltd., Prentice Hall Financial Times 1987-1995, USA, UK. ISBN 0-273-61710-9
邦訳:
考える技術、書く技術、著:バーバラ・ミント、監修:グロービス・マネジメント・インスティチュート、訳:山崎康司、ダイアモンド社 1998、東京.ISBN 4-478-49027-9

今日も暇です。「自分自身が出来る仕事は無いのだろうか?」と探しあぐねている日々です。アルバイトでも、肉体労働でもかまわないから、仕事がしたいと願っているのです。なぜならば、生きるためには働かなくてはなりません。働いて、給料を頂く。すなわち、その給料を原資にして、生活を営む。当たり前の生活です。そのためには、「今何をすればよいのだろうか?」と、自分自身との葛藤が続きます。

昨日の本から、ちょっとだけ引用。死ぬ瞬間 -P13 8行目から-

 われわれはすべて、無意識下に、われわれ自身の死は決して起こりえないとする、基本的な知識を持っている。無意識にとっては、自分の生命がこの地上で終わるなどとは想像もできないのである。だから、もしもこの生命が終わらなければならないとすれば、それは常にだれか他の人によって外部から加えられた不当な干渉によるものとされる。

 簡単にすれば、われわれの無意識な心の見るところでは、われわれは殺されて初めて死ぬのである。自然的な原因で、もしくは老齢のために、死ぬということは考えられないのである。だから死といえば、例えば邪な行為であるとか、恐ろしい出来事であるとか、それ自身報復と処罰とを招かずにはいられない何かと関連付けて考えられている。

(引用者:注、「地上で終わる」という概念は、「キリスト教」の文化から来る物と考えられます。私達日本人の文化から見れば、地上もなく、天もない。敢えて、定義づければ、死ぬときに死ぬのである。なお、同じような概念としては「西方浄土」という概念があります。あくまでも、「良い生き方をしたがために、良い死に方をした」という言い方をされます。しかし、その人の人生にとっては、「死」は全ての終わりでしかないのです。ゆえに、「一度きりの人生を、どれだけ充実して生きたのか?それだけではないのだろうか」と思います。無論、そのためには「他人に迷惑をかけない生き方」が出来れば、最高の喜びでもあります。ちなみに、私自身は「迷惑行為」はしたくもありません。しかし、「迷惑を掛けられること」には肝要でもあります。なぜならば、「自分が嫌だ」と思うことを、「相手にする」ことが迷惑だからです。もう一点付け加えれば、「自分が良かれ」と思うことを、「相手にしてあげたい」と思います。)。

2001年以降、日本の社会は自己防衛のために、性悪説に振れつつあります。なぜならば、近年の「就職状況」やその他「社会現象」まで俯瞰したときに、「性悪説」に振れざるを得ないのでしょう。「性悪説」とは、法による支配でもあります。「法」とは、「人格」を持たないのです。しかし、その「法」を行使するのは、やはり人です。ゆえに、「法」を行使する人には、潔癖なまでの「倫理観」と「キャリア」が求められるのだと思います。また、当然のことではありますが、「デジタル社会」とは、「性悪説」による社会の運用の仕組みでもあるのです。「システム利用」の履歴が残る、「電算機システム」の停止が「ビジネス」や「業務の停止」に繋がること。すなわち、「法人」としての「仕組み」が停止してしまうことに対する「心配」が支配する社会でもあるのです。

また、「自己防衛」というのは、「人間」の持つ本能でもあります。自分達が生き残るために、自らの命や財産を守ろうとするのは当然の行為でもあります。すなわち、「生き残る」ために性悪説に振れつつあるのだと思います。なお、基本的には、普通「法人」の内部においては、「性善説」で運用されているのです。なぜならば、本来の法人の最高責任者の仕事とは、「従業員」を守ることだからです。「企業」や「法人」が不祥事を起こしたら「従業員」を守るために、自ら潔く退く。それが、「経営者」や「最高責任者」の本来あるべき姿なのです。

また、「科学的管理(Scientific Management)」とは、「性悪説」に基づく管理方法でもあるのでしょう。なぜならば、「証拠」に基づく「管理システム」だからです。その「証拠」とは、「データ・マネジメント」なのです。つまり、人の「行動」や「趣味」・「性格」、さらには「住所」・「転勤歴」・「履歴」等が「データ」に分解されます。そして、その「履歴データ」を下にして、「マネジメント」が行われる仕組みでもあるのです。もちろん、それだけではなく、様々な情報がデータに分解されます。具体的には、「商品管理情報」、「ドキュメント・マネジメント」、「法人経理情報」(具体的には、原価・売価・管理費・人件費)その他です。それらが、法律に定められている基準に沿っているのか?どうか?が、「照合され」、「整合される」のだと考えることが出来ます。つまり、「コンプライアンス」及び「コーポレートガバナンス」の仕組みとの整合性が図られるわけです。これらの視点が、「ISO基準」に定められた「9000シリーズ」の「マネジメントシステム」であったり、「14000シリーズ」の「マネジメントシステム」であり、さらには「17799のマネジメントシステム」でもあるのです。

以上
参考文献:
品質保証の国際規格-ISO/DIS 9000, 9001, 9004-(改正案), 監訳:ISO/TC176 国内対策委員会, 日本規格協会, 東京. ISBN 4-542-40207-X
組織行動のマネジメント.
World without Secrets -Bussiness, Crime and Priacy in the Age of Ubiquitous Computing-, Richard Hunter, Gartner inc. 2002, Wiley Sons Inc., NY. ISBN 0-471-21816-2
Managing in the next society, Peter F. Drucker 2002, Truman Talley books, St, Martin's press, NY. ISBN 0-312-28997-4