Appleの思い出

ふと気が付いたのだけれども、Mac OS-Xは「FreeBSD」+「machカーネル」でした。これは、今のApple社のCEOである「スティーブジョブス」氏の「NeXT」からくるものであるということは、有名な話です。「NeXT」は、私にとっても印象深いマシーンだった記憶があるのです。なぜならば、友人と一緒に、見に行ったことがあるかなのです。ちなみに、当時他に気に入ったマシーンは「SONY」の「NEWS(NetWork Stationの略、ちなみにIkki Projectという、社内ベンチャーで開発が行われたというすごいマシーン。最初は、32ビット汎用コンピュータを作るプロジェクトだったらしいのだけれども、部下の方々が厚木にあったVAXと同じ環境を使いたいとの事で開発方針が変更になった。そして、完成したマシーンは失敗プロジェクトのシグマ計画の先を行くワークステーションだったらしい。この辺りは、土井利忠さんの本で読んだことがある。さらには、日経コンピュータの記事でも読んだことがある)」でした。
なぜならば、やっぱり当時の環境(MSXPC-9801)からすれば、広大なメモリーが使えることと、「ネットワーク環境」が標準で使えることだった記憶がある。

結局、Mac Classicが出て、そちらを買うことになったのだけれども。
ちなみに、Macが好きだったのは、「ユーザー・インターフェイスガイドライン」というものが定めてあり、弱者に優しいマシーンだったからということ。資料等を揃えてプログラムをしようとしたら、それはそれは大変な仕組みで動いていることに気がつかされた。ToolBoxというAPIのコールだけで、あっちにこっちに決められたプログラムを組まなくてはならないということ。さらには、セグメントという概念(これは、MC68000シリーズ時代だけの話)が出てきて、びっくり。ええーインテルのCPU(当時のCPUはi8086とi80286とi80386だったけど、MS-DOSで使うと、セグメントの概念が出てきていた。ちなみに、OS/2Unixで動かすと、プロテクトモードが動いてセグメントは関係なかった。ただし、安全なプロテクトモードは、i80386以降の話)と同じだね・・と。「多分、最初にMac設計した人にとっては苦肉の策だったんだろな」と振り返って思うのです。
なぜならば、最初のMacを設計した人は、たった128KBのメモリーを駆使して、GUIやイベント駆動型のソフトを開発しなければならなかったから。つまり、ToolBoxにたくさんのルーチンを内蔵することと、メモリー管理をセグメント化することで、アプリケーションの構造分割を図れるようにしたと考えることは妥当でしょう。ちなみに、「Mac」のご先祖さまに当たる、「Alto」はハードウエアでGUI制御やイベント管理を行っていたそうです。Altoクラスになると、当時のVAXやPDP-11等の「スーパーミニコンクラス」のハードウエアが必要だったからでしょう。

やっぱり当時のMC68000の値段というのは、妥当だったのかも知れません。

最近の、MacPowerPCになったため、こんな話は笑い話です。そして、そのAppleも「インテルのCPUを採用するとか?しないとか?」という記事を読みました。コストメリットを出すために、大量に使用されているCPUを使うというのは、仕方がない選択肢なのかも知れません。近年は、バーチャル環境というのが増えてきていますから、ハードウエア間にある「互換性」の問題に関しては「エミュレーション」で対応できると考えたのでしょう。実際に、バーチャル環境及びモニターというのは、ネットワークのみならず、ハードウエア間の互換性を乗り越える一つの方法でもあります。

「コンピュータの世界も、だんだん独自性がなくなるのかな?」と思う。それだけ、差別化が難しくなってきたんだろうと思う。

独自性を打ち出すためには、結局二極化しか道が無いのかもしれませんね。高級路線(車で言えば、セルシオNSX、シーマ、Ferrari、BENTZやBMWさらにはJaggureかな?)と普通路線(車で言えば、カローラ、ビッツ、サニー、FITS、Demio、さらには日本独自の軽)の2極化していくのかも知れません。ニッチを狙って、3極という選択肢もあるでしょうけど(IBMやHP、SUNの路線かな?)。

でも、既存のユーザーにしてみれば、最終的にはハードウエアより、ソフトウエア資産及びデータ資産になるわけだから。やっぱり、データ資産の標準化であるとか、ソフトウエア資産の標準化というのは大事な気がします。